白きじ紹介

白雉

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  • いの町本川に吉兆とされる「白雉」が誕生

いの町本川に吉兆とされる「白雉」が誕生しました

平成31年4月、令和への改元の年に本川手箱きじ生産企業組合のきじ舎で白い雉が生まれました。きじの飼育40年の歴史で初めてのことです。

日本書紀には、次のような記述があります。 650年(大化5年2月)に長門国(現・山口県)麻山(おのやま)で白い雉が捕らえられた。
国司の草壁連醜経(くさかかべのむらじしこふ)は早速朝廷に献上をした。朝廷ではこれを祥瑞(吉兆)として、盛大な儀式をして元号を「大化」から「白雉(はくち)」に改めた。醜経には高い位と多くの縁を与え、長門国の税を3年間免除した。

本川手箱きじ生産企業組合で誕生した白いきじも、正に改元の年に生まれており、これからの令和の世は良くなる吉兆の証ではないでしょうか。

  • 画像:生後間もない白いきじのヒナ
    生後間もない、きじのヒナ(白いきじ)
  • 画像:通常のきじのヒナ
    通常のきじのヒナ
  • 生産以来初めて生まれたメスの白い個体。当組合ではこのきじを大切に育てていくために、名前を公募いたしました。
    公募の結果、「手箱姫」に決定いたしました。また、愛称は「ひめちゃん」となりました。

    組合のシンボルとして皆様から可愛がって頂いた「ひめちゃん」ですが、天国へと旅立ちました。
    短い間でしたが、ありがとうございました。
    これまでの「手箱姫(ひめちゃん)」の様子は、SNSにて閲覧可能です。

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  • 白雉の様子

きじについて

日本きじは、津軽海峡以南の本州、四国、九州に分布するもので1947年に日本の国鳥に決められ、旧1万円札の裏側にも印刷されていました。
一方、高麗きじは、アジア東部(特に朝鮮半島など)に生息する種が導入されたもので、江戸時代頃から養鶏が始まりました。

日本きじの食文化 ~食材としてのきじの歴史~

古来から宮中など高貴な方に食され、ハレの日の食材として重宝されてきました。

  • 文献としては平安時代の「延喜式」に最初の食材として記載されました。
  • 徒然草でも天皇の御前に供される食材として鳥では雉が紹介されています。
  • 現在でも宮中で重要な機会で食されており、天皇が一年で最初に食べる朝食として「新年御祝先付」ではきじ酒が提供され、大嘗祭の「大饗の儀」では、焼きじが提供されています。

きじの食材としての歴史は、四条流包丁書には「鳥といえば雉のこと也」とかかれており平安時代頃から食されていると考えられています。
また、その美味しさは吉田兼好の「徒然草118段」にも書かれています。
「鯉ばかりこそ、御前にても切らるゝものなれば、やんごとなき魚なり。鳥には雉、さうなきものなり。」
(訳)鯉料理は、天皇陛下の御前で調理されるもので、実に貴い魚である。鳥の中ではきじが同様だ。

以下、宮内庁監修「宮中季節のお料理」より引用。
※宮中ではきじのことを「雉子(きじ)」と表記します。

  • 新年御祝先付イメージ

    新年御祝先付

    お正月の三が日両陛下に出されるご朝餐は、宮中の伝統的なお正月のお料理である「御祝先付」です。
    雉子酒は、塩漬けの雉子の肉を入れた温酒で御料牧場で育てられた雉子が用いられます。

  • 大嘗祭イメージ

    大嘗祭

    ご即位にともなう重要な儀式「大嘗祭」の「大嘗宮の儀」が、皇居の本丸跡に造営された「大嘗宮」で行われました。
    王朝時代の宮中の饗宴料理を受け継いだもので、鯛、雉、鯉、鮑、四種物をはじめとした食材は都が奈良や京都にあった昔、各地から送られてきた海の幸、山の幸の名残です。

引用:宮内庁監修「宮中季節のお料理」(2019/05/08 扶桑社)